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社団法人日本電気技術者協会 電気技術解説講座 文字サイズ変更ヘルプ
Presented by Electric Engineer's Association
電力ケーブルの今昔(1) 片岡技術士事務所 代表 片岡 喜久雄

電気機器の進歩は著しく、機器によっては形状が当初のものとは全く変わってしまったものもある。電力ケーブルは電線としての性質上外見は目立たないが、長年にわたって新技術が取り入れられている。ここではその変遷を敷設方式など、周辺技術を含めてたどってみる。

1. はじめの電力ケーブル

送配電用としての電力ケーブルは、世界最初の電灯供給用として1880年(明治13年)トーマス・エジソンによってニューヨーク市に敷設された。

これはエジソンチューブと呼ばれ、構造は長さ6mの鉄管内に導体としてジュートを巻いた銅棒を入れ、間げきにアスファルト系コンパウンドを充てんして絶縁したものであった。

外観上はガス管と全く同じであり、もちろんたわみ性は全くなく、分岐箇所などには接続箱を設置していた。エジソンの脳裏には商売がたきのガス管のイメージがあったのかもしれない。

エジソンチューブは各地に敷設され、3年後にイタリアのミラノ市にも敷設された。

当時は直流配電であったため採用できた構造であった。

1893年(明治26年)スイスで被鉛機が発明され、たわみ性のあるケーブルの製造が可能になった。このように世界最初の配電線は地中線であった。

2. ベルトケーブル

ベルトケーブルは1893年(明治26年)アメリカで開発された。

初期には単心ケーブルも使用され、現在も電鉄など直流線路では大量に使用されているが、その後送配電システムには三相交流が使用されるようになり、ベルトケーブルも3心ケーブルが主体になった。

構造は断面の占積率を良くするため、扇形に成形したより線の上に上質のクラフト紙を巻き、その3条を断面が円形になるように介在物として、ジュートまたはクラフト紙のよりひも、とともにより合わせ、その上に同様のクラフト紙を巻き(これをベルト絶縁といい、ケーブル名の元になった)、常温では極めて高粘度の絶縁油を加熱真空含浸し、その工程後に被鉛したものである(第1図)。

第1図 ベルトケーブル(外装)第1図 ベルトケーブル(外装)

我が国では1903年(明治36年)東京の大崎〜浜松町〜今川橋間に6kVベルトケーブルが、1907年(明治40年)には早稲田変電所から市内へ11kVケーブルが敷設された。

また、当初はすべて輸入品であったが、1916年(大正5年)には22kV、1921年(大正10年)には33kVのケーブルが我が国で製造された。

当時は敷設条数も少なく、交通問題もないため、敷設方式は直接埋設式であり、鉛被の上に外傷防止の目的で、鋼帯外装が施されていた。

直接埋設用ケーブルに鋼帯外装を施すことは1970年(昭和45年)ごろまで続いたが、鋼帯外装の外傷に対する防護性がそれほど高くないことから、収納するトラフなどの防護物を強化してケーブルの鋼帯外装は廃止された。

現在でも敷設時に大きな張力がかかる海底ケーブルなどでは鉄線外装(単心ケーブルではステンレス鋼)が施されている。

その後都市化の進展に伴い、1922年(大正11年)に管路式線路が敷設され、また22、33kVのケーブルが全国の大都市に敷設された。

3. ベルトケーブルの欠点

ベルトケーブルは接続が比較的容易であるなどの利点もあるが、次の諸点が22kV以上の高電圧では欠点になり、遮へい形ケーブルに変わられた。

第2図 ベルトケーブルと遮へいケーブルの雷界第2図 ベルトケーブルと遮へいケーブルの雷界
  1. 絶縁紙に時間的に変化する沿面方向の電圧分力がかかる。沿面耐電圧は貫通耐電圧の1/20〜1/30である(第2図)。
  2. 介在物が電界の中にあり、絶縁上弱点になる。
  3. ケーブルは負荷変動によって半径方向にも伸縮し、鉛被の可塑性とあいまって絶縁体内にボイド(低真空の微小エアギャップ)が発生し、部分放電の原因になる。
  4. 上記のボイドと敷設ルートの高低差によって含浸絶縁油の流下が生じ、ルートの高位置にある部分の含浸率が低下する。

これらの改善のため、遮へいケーブルが開発されて22kV以上のベルトケーブルはこれに替わられた。しかし、6.6kV以下のものは1970年(昭和45年)ごろからCVケーブルが使用されるようになるまで、電力ケーブルのほとんどすべてを占めていた。

4. 遮へい形ケーブル

遮へい形ケーブルはベルトケーブルのベルト絶縁紙を取り去り、各心線ごとに遮へいしたもので、沿面電圧分力はなくなり、介在物は電界の外に出る。これによって高電圧に対応が可能になった。

Hケーブルは1912年(明治45年)ドイツで発明された。各心線ごとに金属テープなどで遮へいしたもので、仕上り外形が細い特徴があり、既設の細い管路に比較的大サイズのケーブルを引き入れて送電容量を増大させる場合などに採用された。

SLケーブルは1914年(大正3年)イギリスで発明された。単心鉛被ケーブル3条を介在物とともに断面が円形になるようによりあわせた構造で、その上に直接埋設の場合は鋼帯外装を、管路引入れ式では更に鉛被を施した。

SLケーブルは可とう性に富み、許容電流もほかのケーブルより大きいなどの特徴から、CVケーブルに替わるまで22〜33kV級ケーブルの代表的存在であった(第3図)。

第3図 HケーブルとSLケーブル第3図 HケーブルとSLケーブル

ベルト、H、 SLケーブルを総称してソリッドケーブルという。絶縁油の流下を防ぐため、より線導体を圧縮して、素線間の間げきを少なくすることもこのころから行われた。

遮へい形ケーブルでは介在物は電界の外になったが、この部分の占める断面スペースは大きい。このためケーブル断面を三角むすび形にして資材の節約を図ったSOケーブルが1930年(昭和5年)に考案され、その絶縁方式によってHSO、SLSOと呼ばれたが、広くは採用されなかった。

しかし、SLケーブルの初期にこの部分に通信線を入れて、電気所間の通信に利用したことがあった。後述の圧力ケーブルではこの部分を圧力媒体の通路として利用している。

現在使用されている高圧以上のケーブルはすべて各心線ごとに遮へいされているので遮へい形ケーブルといえる。